木曜手帖

インターネット木曜手帖へようこそ

詩の好きな方はどなたでもどうぞ!
今、あなたの心に浮かんでいる思い…その思いをつかまえてみませんか?
詩を書くことで、あなたの思いをつかまえることができるのです。

木曜手帖について

木曜手帖創刊号のサトウハチローの言葉

第二次大戦後、サトウハチローが呼びかけ、藤田圭雄、野上彰等を中心にサトウ家に集まって日本の文化について話し合っていた木曜会が、詩の勉強の場になっていき、作品発表の場として生まれたのが『木曜手帖』。しばらくはガリ版刷りで出していたが、1952年5月、多くの童謡の作詩愛好家に呼びかけて、活版刷りの月刊同人誌『木曜手帖』を創刊した。

はじめの数年は童謡専門誌をうたって、吉岡治、片岡政子などが活躍していたが、2周年記念号で、木曜会木曜賞が授与されるようになり、ここでは若谷和子が木曜賞、名取和彦が努力賞を受賞。3周念記念号では若谷和子が菊田一夫賞、名取和彦が木曜賞、宮中雲子が努力賞を受賞していて、次第にメンバーが変化していったことが伺われる。

内容においても社会の変化に加えて、恋の詩も出てくるようになり、童謡専門誌とばかりはいえなくなっていった。

200号でサトウハチローが他界すると、それまでサトウハチローを中心に若谷和子、宮中雲子でやっていた主婦の友通信教室で学んだ人たちも入ってきたことにより、日々の生活をうたった詩が増えていった。しかし童謡を書く人を育てるという本来の目的を貫き、子どもの詩の頁を絶やすことはなかった。

現在、社・日本童謡協会の会員も多く、宮中雲子は副会長。宮田滋子は常任理事を勤めている。

同人誌『木曜手帖』は600号で終刊となったが、『木曜手帖』の編集委員から、西脇たみ恵、瀬野啓子、尾崎杏子、滝波万理子、それに宮中雲子、宮田滋子が加わって、引き続きインターネット木曜手帖の編集委員を勤める。

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